今回は懸魚の説明をさせていただきます!
2021/06/23
今回は懸魚の説明をさせていただきます!
懸魚とは
〇懸魚の説明
神社やお寺の屋根の破風板部分に取り付けられた妻飾りのことで、寺社や屋根の構造が入母屋作りの家屋に取り付けられることがございます。
〇懸魚の語源について
文字通り「魚を懸ける」ことであり、水と関わりの深い魚を屋根に懸けることによって、水に関係があるもので火災除けの意味に通じていることから、水の代わりに魚を屋根に懸けて、火に弱い木造の建物を火災から守るために、火事よけのまじないとして取り付けられたものです。
これは、中国雲南省の少数民族(白沙村等)に、魚の形をした板を屋根に懸ける風習が今でも残っており、漢字で「懸魚」と表記されることから、これが火伏せのまじないとして魚が使われたとする根拠となっています。
〇日本への伝来について
日本にいつ伝来したものかがまだよくわかっておらず、仏教伝来とともに寺院様式として伝えられたとする説や、後の時代になって伝わったとする説があります。
〇懸魚の種類について
形によっても呼び方があり,主に次の4種類に分けられています。
1,(蕪懸魚) 野菜のカブのような形をした懸魚
2,(三花懸魚)蔐懸魚を三つ組み合わせた懸魚
3,(猪目懸魚)猪目と呼ぶハート形のくりぬきが付いた懸魚
4,(梅鉢懸魚)ほぼ六角形の簡単な形をした懸魚
〇懸魚の形状について
蕪懸魚の両脇には草花鰭(ひれ)が付けられ、「懸魚」の中央には、日本独自の飾りとして、「六葉」と呼ばれる6枚の葉で構成される六角形の飾りが付きます。「六葉」の中心から出る棒を「樽の口」、その根本にあるのを「菊座」と呼びます。つまり、樽酒の口を栓で止める形を模し、水を注ぎだすというこれもやはり火伏せのまじまいとして取り付けられているものなのです。
〇懸魚が一般市民へ広がった経緯
本来は、寺社や城の建築のみに用いられていたこの「懸魚」ですが、江戸時代に入ると、武家屋敷や庄屋クラスの民家にも特別に付けられることが許されるようになりました。その後、明治・大正期になると、民家の建築を手掛けるようになった一部の宮大工が、寺院様式を民家にも取り入れるようになり、今日まで伝わっています。
また、明治期になって、各地の擬洋風建築として建てられた小学校の校舎にも見ることができます。
この他意外なところとして、銭湯や古い温泉旅館の玄関建築(唐破風:からはふ)にも見ることができます。この場合には、横に長い形になり、唐破風懸魚または兎毛通(うのけとおし)と呼ばれています。
なぜこれらの建物が、寺社建築を模しているのかといえば、それは、訪れる人が「極楽への入り口」をイメージするためとの説があります。
〇建築構造上の役目
1,寄棟造は上から完全に屋根がかぶる
寄棟造のように四方に屋根がある場合は良いのですが、入母屋造や切妻造、破風などは直接雨風に建物本体がさらされてしまうことの保護として。
2,切妻造りなどは、屋根がついていない部分の補助
そうすると棟木な屋根や建物を支える重要な木材が腐ることを避けるため、また保護のために「懸魚」は取り付けられました。
木材は切り口(木口)から傷んできますので、装飾を兼ねて懸魚は重宝されていたようです。
〇装飾上の役目
ほとんどの場合建物正面になく、側面に設置されている上、屋根という上部にあるため、見落とされてしまっていることが多くその形はとってもモダンであるために、とくに屋根よりも見せることがメインの唐破風などにつけられた懸魚は、華美な彫刻を取り付けている。
〇モチーフも色々
水に関した物にこだわらずに取り付ける施主の好みで設置する場合もございます。
〇ご注文をいただいた例!
上記の懸魚は千葉県の櫻木神社様よりご注文をいただいた懸魚になります。
神社の名称が櫻木神社なので桜をモチーフに制作しました。
開拓で伊達家が住んでいた住居に取り付けられていた懸魚の再生に携わらせていただきました。
北海道伊達市の文化財になっています。
他にも京都の東本願寺様からの依頼で教務会館新築の際に取り付けた懸魚が下記になります。
〇懸魚に使う材料について
材料は基本的には破風に使われている材料と同じ材料を使用しますが、施主様のご要望で違った材料を使用する場合もございます。
主に建築材として使用している桧・ケヤキ・楠が多いようです。
杉は冬目と夏目の硬さの差が大きく柔らかいのであまり使用はしていません。
〇上記の様に現在では懸魚についてはこれといった制約もなく、施主様のご要望に答えて製作させていただいております。
ご依頼される場合は下記サイトを参考にお願いいたします。
https://www.hori-masa.net/contents/category/process/